■08/02/18 【第58回】コンプライアンス教育の実際 第4回

■コンプライアンス教育はまず経営者から
 平成18年に法令違反で処分を受けた、ある上場企業のその後の「取り組み体制」を明確にした文書は、「コンプライアンス」に関する経営者の意識水準を物語っている。その反省文からは、以下のような問題点があげられている。

1.組織、チェック体制の不備
2.社内ルールのあいまいな行使
3.成果主義導入の結果からもたらされた歪み
4.全社員教育の不徹底
5.社外第三者機関の監視の欠如
6.検査(監査)体制、計画、実施の不備

そして最後に、「企業風土」の全面改革を目指すと締めくくられている。

 しかし、この上場企業で発覚した「コンプライアンス」の欠如や、企業の「意識水準」から理解できることは、経営陣が企業を「私物化」し、経営にあたり社員のコンセンサスを得ることもなく、また取引先などの外部の「声」も遮断していたことへの軽い「責任感」である。単に「経営者へのヒアリング、管理職以下全社員へのアンケート、取引先へのインタビューなどを実施し、根本原因の結果を明らかにする」というだけの形式上の反省は、そのことを如実に物語っている。その点で、一企業の問題だけにとどまるのではなく、上場要件の見直しや上場を許した監督官庁の責任も大いに議論されるべきものとなったのは当然のことである。

 「収益を確保することが企業の第一である」「法令に違反しなければ儲けるために何をしてもよい」という企業は、もはやこの先、生き残れない。企業のエゴは、消費者、顧客、地域社会、取引先、従業員、株主、行政などのステークホルダーとの間に摩擦や事件を生む。経営者はこうしたリスクを感じとり、企業と企業を取り巻く社会的環境との調和を第一に、さらに自然環境をも十二分に考慮しながら、企業利益を追求する時代を迎えているのである。

■何のためのコンプライアンス教育なのか
 コンプライアンス教育が進んでいない企業は、まず経営者自らがコンプライアンス教育を受け、啓蒙されなければならない。経営理念や経営方針そのものをコンプライアンスに沿ったものとし、コンプライアンスの実現可能な社内体制を作り、実現するための組織的な保障づくりがされなければならないのである。そもそもコンプライアンス教育が進まない企業は、CSR(企業の社会的責任)を果たそうとする意識も欠如している。そうした企業は、CSRを前提にした「企業倫理」「行動規範」も不明確な場合が多い。

 企業倫理には、法令のような「社会的拘束力」「罰則規定」はない。しかし本来ならば、企業のコンプライアンスを支えるための最低限の人間性・社会性をベースに、企業の「社風」に浸透していなければならないものである。例えば、企業風土に必要不可欠な「人間性」があるならば、過労死や長時間労働、サービス残業、差別待遇(思想・門地・人種・年齢・性別・障害者…)、不当労働行為などを見逃さず、仮にそのような事態が起こっても改善できる。同様に必要不可欠な「社会性」があれば、独禁法違反、利益誘導の献金、外国人不法就労、総会屋との癒着、輸出入の不正取引、廃棄物不法投棄、PL法責任回避、公害被害者救済拒否、地球環境・自然環境破壊、商品・サービス・宣伝・労働請負偽装などを許さないはずである。残念ながら日本の上場企業は、コンプライアンスには敏感であるが、「企業倫理」に関してはあいまいな企業が多々存在する。

 このような企業が存在する背景には「法令違反をしなければ儲けるために何をしてもよい」(儲けるためには多少のことはやむをえない)という古典的な思考法がある。それは企業倫理を「企業風土」に浸透させようものなら、現在の「利益の基盤」を損ね、企業に不利益をもたらすという考え方である。しかし、企業倫理の不徹底による不利益は、訴訟による損害賠償、労働争議による生産性の低下、従業員退職による離職コストの増大、有能人材流出による企業力低下、資金繰りの悪化、風評による販売力の低下、信頼回復コストの増大などの深刻な損害をもたらすことを忘れてはならない。

 今、日本の企業に求められているのは、企業内の「民主化」である。従業員の「公平」「自由裁量」「情報の共有化」による組織力向上により、従業員の「管理・監視コスト」「ステークホルダーとの調整コスト」「教育コスト」は、長期的にみて軽減されるのである。